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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
トルコと日本の友好関係を語る上で第一に記憶されるのは、1890年のエルトゥールル号遭難事件において、日本の人々がエルトゥールル号の生存者にさしのべた救援と同情である。続く20世紀の初頭頃から、日露戦争でトルコが長年苦しめられてきたロシア帝国に日本が一矢報いたことなどから、アジアの近代化の優等生として認識されるようになった。
しかしオスマン帝国の時代には、欧米諸国と同等の不平等条約締結を求める日本政府との交渉がまとまらず、日土の国交は最後まで開かれなかった。日土の国交は1924年、トルコ共和国政府のもとで開かれたが、早くも1926年には「日土協会」(現在の「日本・トルコ協会)が設立され、日本側からも日土友好に尽力する人々があらわれた。
トルコは第二次世界大戦では中立を宣言したため国交は続いたが、大戦終局の1945年1月29日に連合国の要請によりトルコ政府は日本との国交断絶を通告、2月23日に対日宣戦布告を行ったので、国交は一時断絶した。戦後、国交が回復するとともに、旧首都イスタンブルに置かれていた在トルコ日本大使館がアンカラに移転し、本格的な二国間関係が始まったが、長らく日本とトルコの間の行き来は少なく、民間の関係はさほど緊密ではなかった。
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