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明治5年(1872年)1月6日、榎本は特赦出獄、その才能を買われて新政府に登用された。同年3月8日、黒田清隆が次官を務める開拓使に四等出仕として仕官、北海道鉱山検査巡回を命じられた。
明治7年(1874年)1月、駐露特命全権公使となり、樺太・千島交換条約を締結した。またマリア・ルス号事件でペルー政府が国際法廷に対し日本を提訴した件で、露帝アレクサンドル2世が調停に乗り出したことから、サンクトペテルブルクでの裁判に臨んで勝訴を得た。駐露公使就任にあたって、榎本は海軍中将に任命されたが、これは当時の外交慣例で武官公使の方が交渉上有利と判断されたためで、伊藤博文らの建言で実現したものである。旧幕時代の経歴と直接の関係はない。しかし当時の海軍は大佐が最高位であったから破格の任官であった。
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