投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す


新着順:95/479 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

フェートン号事件

 投稿者:市民  投稿日:2009年 4月12日(日)02時48分2秒
  通報 返信・引用
  フェートン号事件

http://www.geocities.jp/voc1641/history/event/phaton.htm

18世紀末西欧の社会情勢は大きく変わっていた。フランス大革命が超こりオランダはフランスに併合、バタビア共和国となった。イギリスはフランスと対立していたため、イギリスとオランダ(バタビア共和国)も交戦状態となった。

東洋においてもイギリスとオランダ(バタビア共和国)は対立、この機会にイギリスはオランダの東洋植民埴や貿易を一挙に手中に収めていった。欧州の戦乱が遠く極東にまで波及していたのである。このためオランダ国旗は世界中の地から降ろされていたが、出島には依然翻すことが出来ていた。

当時、圧倒的な英国軍艦の前にオランダ船は安全な航海ができなかったが、アメリカからチャーターした船でかろうじて貿易を続けていた。(翌1809年、ジャカルタを出帆したVOC雇い入れの米国籍船レベッカ号は次期出島商館長クロイトホーフ乗船のままイギリス船に拿捕され広東に送られたりしている)。

1808(文化5)年10月4日(8月15日)の午後3時過ぎ、英国軍艦フェートン号(船長グリットウッド・ペリュー 約300人乗込)はオランダ国旗を掲げ長崎港に侵入した。フェートン号はマラッカに停泊、オランダ船の情報を得て8月10日にマカオに到着し、痛んだ船体の修理を行った後台湾海峡を北上し五島近海で長崎から荷物を満載したオランダ船を待ち受けていた。(実はフェートン号が情報入手したオランダ船2隻は長崎入港予定だったが英国軍艦出没の報が入り長崎に来港していなかった)。が、五島沖にてオランダ船を待ちかまえている間に飲料水や食料が乏しくなり長崎港に入港したのである。

オランダの国旗を掲げていたため、商館長ドゥフと長崎奉行・松平図書頭康平はオランダ商館員(ディルク・ホーゼマン、ヘリット・スヒンメル)と検使役を停泊中のフェートン号に派遣した。しかし、船に近づいたところで襲撃を受け、人質にされてしまった。長崎奉行は直ちに商館員を救出しようとしたが、フェートン号は大砲や銃を装備している。一方このころの長崎港警備は形骸化しておりこの年の当番であった佐賀藩も警護の手をゆるめており兵力不足であった。

その夜、フェートン号が出島を襲撃するという噂がたち、とりあえず商館長ドゥフは家康の朱印状とわずかなものを持って着の身着のまま、西役所に避難した。その夜午後6時3隻の武装した小舟が長崎港内を偵察(水深を測っていたともいわれる)。9時半には船に戻ったが港内には3艘の中国のジャンク船以外さしたる船も発見できなかったと報告している。

10月5日の午前8時半、船を見るとイギリスの旗が翻っていた。フェートン号は長崎奉行宛恐喝の書状を出してきた。内容は「我艦は英国籍のフェートン号と称し艦長はペリューである。止む得ぬ事情により人質を取ったが害意は無い。食牛4頭、山羊12頭、野菜多量、水船数隻、上等のタバコ等を望む。聞き入れられない時は港内の唐船、日本船はじめ、市中にいたるまですべて焼き払うべき用意がある。」。

長崎奉行はフェートン号に対して攻撃を意図して要求に対して僅かずつ応じて、食料を送り届けたりして時間をかせいでいた。5日夕になると長崎奉行は警備の兵士もおらず各藩から応援の兵士も到着しだしてはいたが決定的な対応策もとれないでいた。本来イギリス人もポルトガル人、スペイン人と同じように日本への入国は禁じられており、来航した場合は焼き払うのが長崎奉行の勤めであり、松平もそのように考えていた。

が商館長ドゥフは日本の軍隊の脆弱さと惨めな戦争装備を知っていたため、奉行に対し「まだ長崎には充分な数の兵士が到着していなし、件の船を黙って出港させる方が良い」と進言している。

夜の9時に拉致されていたオランダ人2名が開放されて上陸することが出来た。6日早朝、残りの食料等を船に運び入れた後、午前11時45分、抜碇、全帆を揚げ12時に帆走し始め長崎港を後にした。

この夜、長崎奉行松平図書頭康平は夜半頃西役所(現長崎県庁)で今回の不始末のために切腹をした。康平の墓は長崎市鍛冶屋町の大音寺境内にある。

警備の年番であった佐賀藩には非難が集中し、警備の佐賀藩士16名が帰藩のとき矢上近く(現長崎水族館の上あたり)で切腹を行った。ここは現在「腹切坂」と呼ばれている。この事件以後、長崎港の警備体制や外国船の入港手続きなどが厳重に改められ、台場を強化したり鎖国体制を維持していくための種々の方策が再整備された。
 

新着順:95/479 《前のページ | 次のページ》
/479