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明治政府というのは、結局は「形を変えた徳川幕府」だった。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/japan9.htm
もちろん、江戸期の官僚と明治の官僚は、その人材層を異にする。江戸期の中央官僚は、徳川家譜代の武士階級が世襲で就任していた。これに対して、「四民平等」となった明治期では、国家試験で優秀な成績を収めた庶民が官僚になるのである。それでも、徳川300年を君臨してきた官僚主導のドグマは生き残った。日本の官僚が、しばしば政治家をないがしろにする伝統は、既にこのときから始まったのである。
こうして日本には、二つの矛盾する政治の流れが出来上がった。
(1)イギリス型の立憲君主政治・・・政治家が官僚を統制する。政治的意思決定は政治家が議会で行い、君主(天皇)がそれに承認を与える。
(2)ドイツ型の官僚主導政治・・・官僚が政治家と民衆をコントロールする。政治的意思決定は、中央官庁が勝手に行う。
いわゆる明治の元勲が健在なうちは、前者の流れが優勢であった。しかし、優秀な元勲が死に絶え、そして政党政治家の失政が相次ぐうちに、いつしか後者の流れが顕在化したこの国は、官僚に乗っ取られてしまうのである。
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完全に同意はしないが、一部共感するところはある。
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